会社情報など

備品福岡 念願の新築移転オープン!!

備品福岡外観空撮1 備品福岡は38年前の1987年に九州では最初の事業所として福岡県糟屋郡志免町でオープンした後、規模の拡大に応じて同町内・糟屋郡粕屋町と移転をしてまいりました。
 粕屋町では2016年7月から8年以上営業してきましたが、当時と比較して取扱量・社員数が大幅に増加しており、移転の必要性を感じながら運営しておりました。そうした中、糟屋郡須恵町内に土地を取得し、このたび念願の新築移転オープンとなりました。
 備品福岡外観空撮2 新事業所は3階建で床はプラットホームタイプ、広い整備室や洗浄スペース・荷物用エレベーターを設置するなど作業効率や職場環境に配慮した仕様にしました。また、今回の移転で九州の4拠点は全て自社物件となりました。
 オープンからまもなく39年目を迎えますが、備品福岡の社員一同、気持ちを新たにより一層のサービス向上に努めてまいりますので、益々のお引き立てをよろしくお願い申し上げます。

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備品大阪 念願の移転オープン!!

 備品大阪当社は会長が1975年5月に大阪市で創業、1976年9月に株式会社として法人設立し、創業からまもなく50年を迎え4月には設立から50期目がスタートします。
 備品大阪は当社創業の事業所で、大阪市東成区でスタート(創業時の事業所はとても古くて狭かった記憶があります)した後、規模の拡大に応じて八尾市、東大阪市岸田堂西へと移転をしてまいりました。岸田堂西では2013年から約12年間営業してきましたが、当時と比較して取扱量・社員数が大幅に増加しており移転の必要性を感じながら運営しておりました。
 大阪の交通の要衝となる長田ジャンクション周辺で長年にわたり物件を探す中、東大阪市本庄西に建物付き土地を取得し、改装工事を終えてこのたび念願の移転オープンとなりました。新事業所は5階建で整備室や洗浄スペースを新たに設置するなど創業以来最大の投資となりました。また、今回の移転で備品事業部の関西3拠点は全て自社物件となりました。
 オープンから50年目を迎えますが、備品大阪の社員一同、気持ちを新たにより一層のサービス向上に努めてまいりますので、益々のお引き立てをよろしくお願い申し上げます。
<追記>事業所へお車でお越しの際は南側からの左折入場、北側への左折退場のご協力をお願い致します。

     その他

阪神・淡路大震災から30年

読売中高生新聞2025年1月17日 1995年1月17日早朝5時46分に発生した「阪神・淡路大震災」から今日でちょうど30年が経ちました。少し長くなりますが当時の私を振り返りたいと思いますので、お付き合い頂ければ幸いです。
 前日まで私は信州でスキーをしていましたが、雪の影響で帰りの高速バスが大幅に遅延して大阪の自宅に到着したのは夜中の2時頃でした。新卒1年目の社会人だった私は「明日(今日)から仕事なのに睡眠不足確定だな」と感じた記憶があります。
 明け方に大阪では今まで感じた事のない揺れ(実際の震度は4~5でしたが)で目が覚めましたが自宅には大きな被害もなく、出社しようと駅に向かったところ電車が止まっていたため1時間近く歩いて通勤しました。
 当時勤めていた会社のオフィスは普段は50人位いるのですが、始業時刻までに出勤していたのは私を含めて数人でした。地震の状況確認のために会社のテレビをつけると阪神・神戸地区の大きな被害が映し出されていて画面に釘付けになりました。
 当時は携帯電話も普及前で各所への連絡は困難で、神戸市長田区から通勤していた同期とも連絡がつかず心配していました。時間が経つにつれ他の社員も出勤してきたり連絡がつき始めましたが、一方では震災の被害状況がどんどん明らかになってきました。(同期と連絡が取れたのは数日後でした)
その後、週末にボランティアに参加して被災状況の一部を目の当たりにしたり、宿泊場所で余震を感じながら眠れない夜を過ごしました。(長い話にお付き合い頂きありがとうございましたm(__)m)
 阪神・淡路大震災は亡くなられた方が6,434人、ピーク時の避難人数は30万人を超える大きな被害となりました。あれから30年が経った今日までには2011年の東日本大震災をはじめ、熊本・北海道・新潟や1年前の能登半島など各地で大きな地震が発生しています。今後も大きな地震が発生すると予測されており心配は尽きませんが、万が一ではなく常日頃から備えながら毎日を過ごそうとあらためて決意しました。